劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-

機動戦士ガンダム00[ダブルオー]
チネチッタにて鑑賞。


副題は「先駆者の覚醒」という意味らしい。
週替わり入場者プレゼント「STORYカード」第1週分〔刹那・デカルト・グラハム〕は配布終了だった。
F91*1以来19年ぶりの完全新作でのガンダム映画。
事前情報では、木星からの金属生命体が大暴れ(イメージ)でしたが…。

すごい?

「すごい」のはわかった。それはTVシリーズの時から分かっていた。でも私は違う「すごい」を見たいのです。
ガンダム00』の「すごい」は、すごく動きます。すごく綺麗な作画です。すごい設定です。その「すごい」ですね。
これは木星からの異星体(エルス*2)と地球連邦軍+ソレスタルビーイングの最終決戦からも明らかだ。なにしろ何をしているのか分からない速さで戦闘をしている。
序盤でのエルスが地球人を金属化させたり、イノベイターであるデカルト・シャーマンが言うところの「叫び」だったりを見せられた時点で、よくあるファーストコンタクト、異文明接触の話だなと思いました。相手を理解するために接触する。それはマクロス。異文明だからこその齟齬。それはイデオン。結局その影から逃れられなかったように感じます。

デカルト・シャーマン

刹那・F・セイエイとの対比のために出てきた。とのことですが、あんなにあっさり捨てキャラになったら対比どころの話ではないような。地球連邦にイノベイター(新人類)の存在を知らしめて、今後のインフラ整備には役立ったようですが。
途中退場した後、エルスに取り込まれて、インターフェイスとして再登場を待っていたのですが出番は無かったですね。

エピローグ

いろいろとありますね。外宇宙航行用宇宙船。イオリア・シュヘンベルグの若い頃とその友人E・A・レイの会話。マリナ・イスマイール刹那・F・セイエイの再会。

ダブルオーは傑作か?

それは否と言わせてもらう。面白いけど。
いまだ「ガンダムらしさ」とは何かの答えが具体的に出てこないので感覚的にしか言えないけれど、TVシリーズガンダムらしさを排除しようとして結局ガンダムらしさに頼ってしまった。そして劇場版はガンダムを使ってベタなファーストコンタクトを描いた。それが画期的というか陳腐というかは個人個人で違うのだろうけど、この作品が『Gガンダム*3のように、新しいガンダムへの一歩だとしたら革新的だったと評されるのだろう。

蛇足

The world is gradually changing.
But the time has not yet come for the Trailblazer to rest.

世界は、徐々に変わっています。
しかし、時間は休むために、先駆者をまだ迎えに来ませんでした。

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英語はからっきしなので、「世界は変わりつつある。しかし、いまだ先駆者に休息の時は訪れない。」という感じなのかな?
先駆者=刹那・F・セイエイが戻るべき場所に戻った感じに、休息の時が訪れたように見えたけど…。

Peace cannot be kept by force.
It can only be achieved by understanding.

平和は、力ずくで保たれることができません。
それは、理解によって達成されることができるだけです。

サービス終了のお知らせ

こちらはパンフに載っていた英文。これはダブルオーのテーマというやつなのでしょう。
「武力介入による紛争根絶のソレスタルビーイングリボンズ・アルマークの「優等種(イノベイター)による人類支配」。どれも力による平和を目指していたといえる。それらを否定して、マリナ・イスマイールを最終的に肯定したのがその証左かと。

*1:機動戦士ガンダム F91 [DVD]機動戦士ガンダムF91 [Blu-ray]

*2:「Extraterrestrial Living-metal Shapeshifter」の略で、日本語表記では「地球外変異性金属体」

*3: