小倉隆史選手、引退

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/headlines/20060210-00000172-jij-spo.html
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…しばらく落ち込むと思います。
外に出ることなく、布団に包まって過ごしたいくらいだ。


何を言っていいのか…。


1992年の正月。冬の選手権の決勝で見た彼はすごかった。
高校生という限定で見れば、彼よりすごいと思った選手を今まで見ていません。


名古屋グランパスに入団し、当時FWながら自陣のペナルティエリアで守っている姿は忘れられません。


オランダ(エクセルシオール)へ留学し活躍するも日本代表に選ばれるため名古屋に復帰。


ベンゲル監督の下、ストイコビッチ選手とともに1995年の天皇杯優勝。
5試合5得点と大活躍。
1996年のアトランタ五輪での活躍を期待された。
まさしく、これからさらに上を目指し頂点へ駆け上れた。上昇気流に乗って輝いていた。


しかし、最終予選直前の合宿で右ひざじん帯断裂の大怪我。


その後、復帰するも出場機会は減った。


それでも、そのプレイは一流だった。そう信じたい。
何度か、市原でのプレイ、東京Vでのプレイ、札幌でのプレイ、甲府でのプレイを見た。
小倉選手よりうまい選手を探す方が難しかったと思う。
たとえ、ひいき目で見ていたとしても、私にはそう見えた。


ハッキリ言う。
今の日本代表に中村俊輔選手が選ばれるのなら、
小倉隆史選手を選んでも問題ないはずだと。


ひどく偏愛していることを自覚して言う。
小倉隆史選手は中田英寿選手、小野伸二選手に比肩する選手だと。


愚かな私を笑ってくれていい。
しかし、それほどに私は小倉選手を評価している。
あのドリブルの突破力。柔らかいボールタッチと力強いキック。
最高の選手の一人と言っていいはずだ。


お決まりの「もし」「れば」も言いたいが、ここでは言わない。
そっと心の中で言わせてもらう。
(もし、……)


ただひとつ言わせてもらえるならば、
小倉選手より優れた後輩のFWを私は知らない。


だからこそ悔しい。
小倉選手が日の丸をつけた青いユニフォームを身にまとい、
ワールドカップで世界を相手に出来なかったことが。



ありがとう。あなたを知ることが出来て、サッカーが好きになりました。
ありがとう。あなたを知って、応援する喜びを教えてもらいました。
ありがとう。私は楽しませてくれたあなたのことを決して忘れません。
ありがとう。いまはこれだけ。



…引退撤回しても後ろ指さしません。
もう一度。もう一度、そのプレイを見せてください。