ドラえもんの罪と罰

http://loudminority.net/comic/out/Doramustbeguilty.html
「盲目的に『ドラえもん』を肯定するな」との意見はもっともであり、わたしもその総括を支持する。


これは「盲目的に宮崎駿を評価するな」という意見と一緒で、「多数の他人が評価するからわたしも評価する」という
自分で考える思考を止めてしまった、かなり退行的な重病であると思う。


「〜だから」とありたがってばかりで、自分で考えないのであればプログラムどおりに動くロボットと違いがあるまい。*1


以下は細かい指摘をさせてもらう。


とりあえず、藤子・F・不二雄と正しく表記してもらいたい。
好きだといっていても、すべて誤字表記されていたら信じることは無理。


> 全2百数十話
どこからこの数を出してきたのか。
単行本(てんとう虫コミックス)でも500話以上掲載されているし、
アニメも20年(2000年当時)で最低1,000話放送されている。


> ハットリくんが入ると、ドラえもん構造が一つ増え、怪物君が入ると、新たな構造が出来るのですが
藤子・F・不二雄作品の話をしているのに藤子不二雄A作品を取り上げようとするのはいかがか。
こういった場合、無視するか補足で藤子不二雄A作品であると断るべき。


> F先生がドラえもんの構造を愛する事を中断し、
中断はしていなかった。晩年まで連載を続けていたことがその証拠である。
アンチテーゼとしてキテレツ大百科を描かれていても、それはドラえもんとの両輪としてであり、
ドラえもんキテレツ大百科は同等の愛を先生から受け続けたはずだと考える。


あるアニメで「人は自分の知るものしか知らぬ」とあるキャラクターが言っていましたが、
この著者もそういうひとりで他を知ろうとはしない自称ファンなのではないかと疑っています。

*1:「生物は遺伝子(DNA)に操られた人形にすぎない」という説も支持するが(笑)