2010-02-06 - かざまあきらのにっき
2月6日の記事は削除しないことにいたしました。どうぞご了承くださいますよう、よろしくお願いいたします。
本当の感想といっても、基本的にベタ褒めは変わらず。
ただし、TVアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』*1を視聴済み。もしくは原作『涼宮ハルヒの消失』*2を既読の方向けで、一見さんお断りの内容なのはマイナス点。
導入を原作より1日早い12月16日にしたのは、一見さん向けのフォローともいえる。普段のSOS団とその周辺を描くことによって、17日以降のキョンの置かれた立場を一見さんに分かってもらおうというわけだ。
ファン向けとしても、原作にないエピソードを描くサービスという意味もある。
国木田は「光陽園学院は昔から共学だよ」と言った。長門は「1年前からの情報を改変している」と言った。キョンは「一年以上前は改変していないのか」と確認した。元の世界では光陽園学院は女子校だった。改変世界の光陽園学院はどうなっているのだろう?小泉が光陽園学院に在籍するのはいいとしても、2年や3年に男子はいるのか?国木田のいうとおりなら、2年や3年の男子は在籍する。でもキョンの確認が正しければ1年前まで在籍していないことになる。1年前に2年や3年の男子が転入してきて、昔から共学だったという記憶操作をされたのか?なぞだ。1年9組の教室自体が無かったことに比べれば、ありうる話なのかもしれない。
元の世界と改変世界。キョンは元の世界を選んだ。元の世界と改変世界は涼宮ハルヒと長門有希の暗喩で、元の世界を選んだ=ハルヒを選んだ。という長門有希の失恋話がこの作品だ。という意見もある。でも、長門はキョンが元の世界を選ぶことが分かっていて、改変世界を作ったというのがわたしの意見。要するに思い出作り。「ただの女の子」として3日間だけでもキョンの傍にいたい。それを大掛かりに実現しました。という話。ホント「ただの女の子」のお話。キョンのいうとおりベタな感情というものが、ここでは便宜上「ただの女の子」成分が長門本人も気付かないバグとして、この出来事を起こしたんだと、勝手に解釈。
最後の方、病院の屋上シーン。長門有希とキョン ふたりのシーンで、キョンが「ユキ」と限りなく「有希」のアクセント*3に近い発音で「雪」が降ってきたことを表現するのですが、ここで思わずキョンの顔を見た長門の表情が、嬉しいような悲しいような戸惑うような複雑な感じに見えたのは、妄想が過ぎますかね?
ここで「キョンはひどいヤツだ。長門がかわいそう」という意見もあるけれど、その時のキョンの表情は出ていないんだよね。あの時、キョンが照れていたんだとしたら、雪が降ってきたことを口実に、感謝だかなんだかわからないけど、最初で最後かもしれない「有希」とファーストネーム呼んだのかもしれない。わたしは、そう思っている。
随所にフルアニメーション*4を使って、良く動くこと動くこと。モブが動きすぎて気持ち悪いという意見もあるけれど、TVシリーズでもかなり動いていたから、そこは慣れかな。京都アニメーションって、リミテッド*5とフルが混在することがよくあるので、その動きの差に戸惑うことも感動することも思いのまま。
その京都アニメーションでも、階段をのぼるシーンを違和感なく描くことが出来なかったのは、残念に思った。
「この内容だったら地上波でやれば十分」という意見もある。『涼宮ハルヒの憂鬱』*6だってTVシリーズで6話に分けて放送された。でも、劇場版だから良かったと思う。無駄に長い作品ともいわれるかも知れないけど、詰め込めるだけ詰め込んだ作品であることも間違いない。TVシリーズではこんなに詰め込められなかったはずだ。あの意味深なラストシーンも含めて。わたしがこの作品をベタ褒めするのは、劇場版だからに違いない。
最後に、参考資料として『公式ガイドブック 涼宮ハルヒの消失』*7と『長門有希ちゃんの消失』*8を挙げておく。
*1:
*2:
*3:イントネーション?
*4:1コマ打ち。24枚/秒
*5:3コマ打ちなど
*6:
*7:
*8: 長門有希ちゃんの消失 (1) (角川コミックス・エース 203-5)